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メー・ナーク・プラカノーン
< Mae Nark Phrakanong/แม่นาคพระโขนง >


タイ人ならだれでも知ってるホラー伝説
[ 映画のポスター ]
「モー6/5 パークマー ター・メー・ナーク」<2014年> 「愛しのゴースト」<2013年> 「メー・ナーク 3D」
<2012年>
「ナーク」
<2008年>
「ゴースト・オブ・メー・ナーク」<2005年> 「ナンナーク」
<1999年>

【 タイで最も有名な伝説 】
 この「メー・ナーク・プラカノーン(Mae Nark Phrakanong/แม่นากพระโขนง)」の伝説は、タイで最も有名な伝説のひとつで、タイ人で知らない人はいないと言われているくらいだ。口頭伝承により伝わっているものなので、そのストーリーの内容にはさまざまな相違点がある。そして、多くの人々が本当にあったことだと信じてもいる。内容はただのホラー伝説ではなく、夫婦愛の物語、仏教の物語でもある。「メー・ナーク・プラカノーン」とは、「プラカノーンのナークお母さん」という意味だ。

【 おもな「メー・ナーク・プラカノーン」映像化記録 】
[製作年]
(西暦/仏暦)
[種別] [タイトル] [備考]
2014/2557 映画 モー6/5 パークマー ター・メー・ナーク コメディー。高校生たちが「メー・ナーク」の世界へ迷い込む。
2013/2556 映画 ハーレム・オブ・マーク・プラカノーン VCD用作品。「ピー・マーク」のパロディー・コメディー。
2013/2556 映画 愛しのゴースト(Pee Mak Phra Kanong) 日本で公開。タイ映画史上の興行記録を塗り替えたお化けヒット作。
2013/2556 映画 メー・ナーク・プラカノーン(Mae Nark Phrakanong) 1958と78年作品の合体再編集版らしい。
2012/2555 映画 メー・ナーク 3D(Mae Nak 3D) 3D作品。ナーク役は、人気セクシー女優のボンコット・コンマーライ(タック)。
2011/2554 映画 メー・ナーク・3ドー VS ポープ 3D(Mae Nark 3 Dor VS. Porb 3D) DVD用作品。ナークとポープが戦うドタバタ・コメディー。
2008/2551 映画 ナーク(Nak) アニメーション。ナークが主人公だが、物語はまったく違う。
2006/2549? 映画 ヤー・ナーク(Ya Nark) VCD用作品?3D作品。映画「ナーク」の撮影中に起きた事件を描く。
2005/2548 映画 ゴースト・オブ・メー・ナーク(Ghost of Mae Nak) 後日談のその後を描いた作品。
2005?/2548 VCD ナーン・ナーク(Nang Nak) リケー・スタイルのVCD用「ナーン・ナーク」。
? 映画 ウィンヤーン・ラック・メー・ナーク・プラカノーン(Winyan Rak Me Nak Phrakanong) VCDの発売は2000年だが、何年の作品だか不明。
1999/2542 TV メー・ナーク(Mae Nak) ナーク役は、人気女優のパチャラパー・チャイチュア(アム)。
1999/2542 映画 ナンナーク(Nang Nak) 大ヒット、ノンシー・ニミブット監督作品。ナーク役は、サーイ・チャルーンプラ(インティラー・チャルーンプラ)。
1994/2537 TV メー・ナーク・プラカノーン(Mae Nark Phrakanong) ・・・
1992/2535 映画 サンヤー・チャイ メー・ナーク・プラカノーン(Sanya Chai Mae Nak Phra Khanong) ナークの出産シーンから後日談までを描く。
1990/2533 映画 メー・ナーク・クーン・チープ(Mae Nak Kuen Cheep) マークの子孫が恋人を作ると、ナークが嫉妬するというストーリー。
1989/2532 TV メー・ナーク・プラカノーン(Mae Nark Phrakanong) スタジオ・ドラマ風。
1989/2532 映画 メー・ナーク アーラワート(Mae Nak Arawat) 本編と後日談を一緒にし、ストーリーを若干変えている。
1978/2521 映画 ウィンヤーン・ラック・メー・ナーク・プラカノーン(Winyan Rak Mae Nak Phrakanong) 後日談を映画化した作品。
1978/2521 映画 メー・ナーク・プラカノーン(Mae Nark Phrakanong) 1959年の作品のそっくりリメイク。
1975/2518 映画 ポット(The Pot ) ナークは、金髪のアメリカ人。
1959/2502 映画 メー・ナーク・プラカノーン(Mae Nark Phrakanong) 現存する最古の作品?最後は、高僧ではなくアーチャーン(祈祷師)がナークの霊を鎮める。

[ 映画のポスター ]
・・・
・・・ 「メー・ナーク・プラカノーン」<2013年> 「メー・ナーク アーラワート」<1989年>
「メー・ナーク・プラカノーン」<1978年> 「メー・ナーク・プラカノーン」<1978年> <1973年>
<1973年> <1962年> <1960年>

【 何度も映像化されている 】
 タイの霊(幽霊)の中では、「メー・ナーク」は「(ピー・)ポープ(ผีปอบ)」と並んで最も有名だ。映像化された回数は、ピー・ポープには負けてしまうがかなりの回数を記録している。残念ながら現存していない作品も多く、正確な数を数えることはできない。タイの英字紙「Bangkok Post」(2013年3月27日)によると、その数は映画だけで約30だとのこと。
 「メー・ナーク・プラカノーン」が映画化されたのは1930年代からで、現存する最古の作品は1959年の16mm作品「メー・ナーク・プラカノーン(Mae Nark Phrakanong)」だ(「Bangkok Post」(2013年3月27日))。この作品は、なんとカラーである。
 日本でも劇場公開しDVD化された1999年のノンシー・ニミブット監督による「ナンナーク(Nang Nak/นางนาก)」は評価が高いだけでなく、当時、不調のどん底にあえいでいた(タイ国内映画は観客に見放され、年間の製作本数は10本程度であった)タイ映画界を救った救世主でもあった。そして、その興行収入記録は、外国映画をも含め当時史上最高を記録した。
 また、この題材は、舞台やミュージカルにもなっている。

[ 変わり種映画 ]
「メー・ナーク・プク・トーキアオ」<1976年> 「ポット」<1975年>

【 奇妙奇天烈、変わり種「メー・ナーク」 】
 「メー・ナーク」を扱った映画の長い歴史の中で、変わった作品も出てきている。1975年の「ポット(The Pot)」という作品では(タイ語の原題は「メーナーク・アメーリカー」)、ナークは何と金髪のアメリカ人という設定なのだ。
 そして、日本人のナークが登場する(ノンシー・ニミブット監督の言による)「メー・ナーク・プク・トーキアオ(แม่นาคบุกโตเกียว)」(「ナーク、東京を侵略する」の意)まであった。この作品は現存していないので、観ることはできないという。

[ 映画のポスター ]
↑ <1970年>
↑ <1968年>
↑ 「メー・ナーク・プラカノーン」<1959年>

【 ストーリー 】
 (ネタバレあり)※ストーリーの内容は一種類ではなく、細かい相違点も含めいろいろある。
 バンコクのプラカノーン地区の裕福な家にナークという美しい娘がいた。多くの村の男たちが彼女を狙っていたが、彼女は貧しい労働者の青年マークが好きであった。そして、二人は駆け落ちをして結婚する。
 やがてナークは妊娠するが、ある日、マークの元に徴兵の知らせが届く。村の親友と共に戦地へ赴くマーク(ノンシー・ニミブット監督の1999年版映画はここから始まる)。マークが戻る前に、出産を迎えることになったナーク。出産はとても難産で、彼女は苦しみ抜いた末に死んでしまい子供も死産であった。彼女の遺体は、ワット・マハープットのタキアンの木の下に埋葬された。
 そこへ呪術師らがやって来て、ナークの死体を掘り起こした。ナムマン・プラーイという媚薬を死体から採取するためである。しかし、怒ったナークに呪術師らは殺されてしまう(ノンシー・ニミブット監督の1999年版映画には、このエピソードはない)。
 マークが戦地に赴任してから一年以上が経ち、愛するナークが待つ家へと戻って来た。そこには、夫の帰りを待ちわびていた妻ナークと赤子の姿があった。マークは村人から、ナークは難産の末に死んでしまい今一緒に暮らしているのは幽霊だと説明されても信じることはなかった。
 ナークは、村人により自分が幽霊であることをマークに告げられることを嫌い、マークにそのことを言いつけた村人を襲い始めた。そんなある日、ナークがナムプリックを作っていた時のことである。ナークは、手を滑らせて高床式の家屋の床下にライムを落としてしまった(ライムではなく、杵やナイフの場合もあるそうだ/「ナーン・ナークの語るもの」by津村文彦による)。それを彼女は、腕をにょきっと伸ばし拾いあげたのだ。それを見たマークは、彼女が幽霊であることにやっと気付いた。
 マークは慌てて家を逃げ出し、ワット・マハーブットへと駈け込んで救いを求めた。寺院の本堂内では、悪霊払いの聖糸を張り巡らせ祈りが続けられた。この中にナークは入ってこられないのだ。やがて、一大事を聞きつけたワット・ラカンの高僧ソムデット・プラ・プッタチャーン(ソムデット・トー/สมเด็จพระพุฒาจารย์ (โต พฺรหฺมรํสี))師が駆けつけた。彼はナークを諭し、成仏させる。その際、ナークの亡骸から額の骨を切り取り、そこに彼女の魂を封じ込めた(ノンシー・ニミブット監督の1999年版映画は、ここまで)。
 (他のパターンでは)高僧がナークを壺に閉じ込めふたをして、それを川へと流す。ある日、漁師が網に架かったその壺を拾いあげ、中を開けてしまう。そうすると、ナークが解き放たれ、その時再婚していたマークに怒り彼の命を狙う。

【 後日談 】
 「メー・ナーク・プラカノーン」には、続きというか後日談がある。これに関しても、真実であると信じる人は多いという。
 それは、高僧が切り取ったナークの額の骨(これを「約束の石」というそうだ。※映画「ナンナーク」<1999年>の日本版チラシより)をベルトのバックルにして、常に身に着けていたというものだ。後に、高僧から何人かの手に渡り、そしてラーマ5世(チュラロンコーン王)の息子であるチュムポーン親王(พระเจ้าบรมวงศ์เธอ กรมหลวงชุมพรเขตอุดมศักดิ์)の手に渡ったが、その後いまだに行方が分からないという。

[ 映画のVCDジャケット ]
「サンヤー・チャイ メー・ナーク・プラカノーン」<1992年> 「メー・ナーク・クーン・チープ」<1990年>

【 時代背景はいつ? 】
 ところで、この物語の時代背景はいつなのであろうか?ノンシー・ニミブット監督の「ナンナーク」では、この物語は1868年に始まる。この年は国王ラマ4世(有名なアメリカ映画「王様と私(The King and I)」<1956年>の主人公として描かれた王様で、チュラロンコーン大王の父)の崩御した年である。
 この物語の年代を特定する重大なポイントのひとつに、マークが「徴兵される」という要素がある。そして彼は戦場へと赴くのだが、戦った相手はだれなのか分からない。ビルマ(現ミャンマー)なのかカンボジアなのか内戦なのか?タイで徴兵制度が敷かれたのは1988年だそうである(「怪奇映画天国 アジア」著:四方田犬彦/白水社/発行:2009年6月10日)。ということは、マークの徴兵とはつじつまが合わなくなる。また、ラマ5世が王位につく前後に対外戦争があったかというと・・・?である。
 後日談にはラーマ5世(チュラロンコーン王)の息子であるチュムポーン親王(1880~1923年)が登場してくるので、これを基に考えるとこの物語は1923年以前のこととなる。

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【 実在するマークが逃げ込んだお寺 】
 マークが、ナークが幽霊であることに気付き逃げ込んだ寺院「ワット・マハープット(Wat Mahabut/วัดมหาบุศย์)」は、バンコクに実在し現存している。ここには、メー・ナークが祀られている祠がある。
※タイランド・ライブラリー

↑ 本堂 ↑ プラカノーン運河
↑ メー・ナークのご本尊の写真 ↑ メー・ナークの祠
ワット・マハーブット

[ TVドラマ ]
「メー・ナーク」<1999年>

【 高僧がやって来たワット・ラカンも実在する 】
 高僧がやって来た、「ワット・ラカン(Wat Rakang/วัดระฆัง)」という寺院も実在し現存している。場所は、バンコクのチャオプラヤー川の西岸であるバーンコーク・ノーイ区。ワット・プラケーオのほぼ反対側に当たる場所に位置している。プラ・クルアン(お守り)で有名。「ワット・ラカン」とは、「鐘寺院」という意味。
※タイランド・ライブラリー

ワット・ラカン

[ DVD用作品 ]
「メー・ナーク・3ドー VS ポープ 3D」<2011年> 「ヤー・ナーク」<2006年>


Trailer 「ピー・マーク プラカノーン」<2013年>



Trailer 「メー・ナーク 3D」<2012年>



Trailer 「ナーク」<2008年>



Trailer 「ゴースト・オブ・メー・ナーク」<2005年>



Trailer 「ナンナーク」<1999年>



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