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クーカム/メナムの残照
(サンセット・アット・チャオプラヤー)
< คู่กรรม (Sunset at Chaophraya/Khu Kam) >


[ 映 画 ]
<2013年>
<1996年> ※「クーカム 2」 <1995年> <1988年>
<1973年>

【 「メナムの残照(クーカム)って? 】
 日本人の多くは知らないでしょうが、ほとんどのタイ人が知っている日本人が主役のタイ映画をご存じでしょうか?それは、この「メナムの残照(クーカム)」です。原作は女流作家のトムヤンティー(ทมยันตี)。
 物語の舞台は、第二次世界大戦下のタイ。タイ人の有力者の娘であるアンスマーリンには、結婚を約した恋人がいた。しかし、彼は戦争が始まる前にイギリスへ留学し、戦争の勃発で帰国できなくなってしまう。一方、アンスマーリンは父親の策略で、日本人将校のコボリと無理やり政略結婚をさせられてしまう。しかし、アンスマーリンは、徐々に彼の人柄に惹かれていき・・・というストーリーです。
 この作品は、「クーカム 2」も含むと過去に7回のTVドラマ化と5回の映画化(2013年現在)が行われました。ミュージカル化もされています。特に、1990年にトンチャイ・メークインタイ(バード)<Thongchai McIntyre(Bird)/ธงไชย แมคอินไตย์(เบิร์ด)>主演でTVドラマ化された時に、伝説の超大ヒットとなりました。この番組が放映された時間帯にはタイ国民がTVにかじりつき、バンコクの町中から車の渋滞がなくなったと伝えられているほどです。
 話はちょっとそれますが、同じような現象が日本にもあったのをご存知でしょうか(そう言っている私自身は知らないのですが)?昭和28年のNHK連続ラジオ・ドラマに「君の名は」という15分番組がありました。当時はTVなどはなく、ラジオが娯楽の王様として君臨していた時代です。この番組は「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションがあるのだそうですが、女性に大人気となりやはり放送時間帯の銭湯(女風呂)がガラガラになったという話が残っています。
 話を元に戻します。タイで一番有名な日本人の名前は何だと思いますか?ダントツで「コボリ」なんですね。「スズキ」とか「イノウエ」「タナカ」ではないんです。これは、「メナムの残照」の主人公である日本兵の名前なのです。当時(1990年代)は、日本人がタイへ行くと男性ならタイのあちこちで「コボリ、コボリ」と声をかけられたものです。
 タイトルの「クーカム(คู่กรรม)」の「クー(คู่)」は「一対」、「カム(กรรม)」は「業」という意味で、「クーカム」で「運命の相手」というような意味になるそうです。ちなみに「メナムの残照」という邦題は映画に対して付けられたものではなく、原作の邦訳本に付けられたものです。

【 「メナムの残照」映像化記録 】
[製作年]
(西暦/仏暦)
[種別] [アンスマーリン役] [小堀役] [備考]
2013/2556 映画 アラネート・ディカバレート ナデート・クーキミヤ(釘宮) 主役は小堀。
2013/2556 TV ヌンティダー・ソーポン スクリット・ウィセートケーオ 5チャンネル。
2004/2547 TV (ポーンチター・ナ・ソンクラー) (ソンラーム・テープピタック) 3チャンネル。「クーカム2」。「クーカム」の続編。
2004/2547 TV ポーンチター・ナ・ソンクラー ソンラーム・テープピタック 3チャンネル。チンタラー・スッカパットが母親役。
1996/2539 映画 タンヤー・ソーポン ・・・ 「クーカム2」の映画版。
1995/2538 映画 アパーシリ・ニティポン トンチャイ・メークインタイ トンチャイが、小堀役に再チャレンジ。
1990/2533 TV カモンチャノック・コーモンティティ トンチャイ・メークインタイ 7チャンネル。伝説の大ヒットTVシリーズ。
1988/2531 映画 チンタラー・スッカパット ワルット・ウォーラタム 日本の映画祭で上映。
1978/2521 TV ศันสนีย์ สมานวรวงศ์ นิรุตต์ ศิริจรรยา 9チャンネル。
1973/2516 映画 ドゥアンナパー・アッタポーンピサーン ナート・プーワナイ 初の映画化作品。
1972/2515 TV ผาณิต กันตามระ ชนะ ศรีอุบล 4チャンネル。
1970/2513 TV บุศรา นฤมิตร มีชัย วีระไวทยะ 4チャンネル。初の映像化作品。

【映画「クーカム」歴代興行収入順位】
[順位] [興行収入] [公開年] [備考]
1 44.5 2013年 小堀役は、ナデート・クーキミヤ(釘宮)。
1 44.5 1995年 小堀役は、トンチャイ・メークインタイ。
3 10.0 1988年 日出子役は、チンタラー・スッカパット。
4 2.7 1973年 「クーカム」初の映画化作品。
※「興行収入金額」の単位は百万バーツ。出典はPantip。
 2013年の作品と1995年の作品が同金額で一位となっているが、映画鑑賞料が上がっていることを考えると、観客動員数は1995年の作品の方が多いと推測される。また、伝説の大ヒットTVドラマ版「クーカム」が放映されたのは1990年。

【 一番良かった「メナムの残照」は? 】 ※2013年現在
 歴代の「メナムの残照」で一番良かったのはどれかを述べる前に、ひとこと。この「メナムの残照」という小説は、非常に中身の濃い作品です。ストーリーの要素がものすごく多いのです。そのために、どうしても1時間30分~2時間程度しか時間のない映画では、描ききるのは到底不可能です。ですので、どうしてもTVドラマの方が有利になると思います。まあ、冗長なのも良くありませんが。
 で、どれが一番良かったかというと、大ヒットした1990年のTVドラマの出来が抜けています。演出、脚本、撮影、主演男女優および助演陣が見事でした。ただし、ラストはかなり間延びしていましたが。ちなみに、1970年、1972年、1978年のTVドラマは観ていません。
 1988年の大女優チンタラー・スッカパットがアンスマーリン役を務めた映画も悪くなかったのですが、どうしてもダイジェスト版のような気がしてしまいます。   (by F)

【 歴代の日出子/アンスマーリン 】 ※2012年現在
 次に、歴代の日出子(アンスマーリン)を演じた女優の人たちについてです。やはり一番良かったのは、大ヒットした1990年(TVドラマ)のカモンチャノック・コーモンティティですね。この人はかわいらしい顔をしているのですが、気の強さが出ていてとても良かったです。優しい感じのコボリ役である、トンチャイ・メークインタイ(バード)と対照的でした。コーモンティティの他の出演作を全部見たなんてことはもちろんありませんが、かわいい顔をしているのに清純派路線は進んでいないような気がします。たとえば、主演なのですが置屋で身を売る女性や女囚役など、普通、有名女優ならやらないであろう役をこなしている人です。
 その次は、1988年(映画)でのチンタラー・スッカパットですね。彼女は、タイを代表する大女優です。やはり、かわいらしい顔をしているのに気の強さをよく出していました。そういえば、彼女も若い頃はアイドル的女優だったのですが、汚れ役もこなすという役幅の広い人でした。
 1995年(映画)のアパーシリ・ニティポンはエキセントリックでものすごく癖がある顔の人で、違和感がありました。2004年(TVドラマ)のポーンチター・ナ・ソンクラーは美人なのですが、やはりエキセントリックで合っていないような気がします。    (by F)

[ TVドラマ ]
<2013年> <2004年> ※「クーカム 2」
<2004年> <1990年>

【 「アンスマーリン」は「日出子」 】
 作品中で、小堀が彼女の名前である「アンスマーリン(อังศุมาลิน)とはどういう意味ですか?」と聞くシーンがある。すると、「太陽」という意味だと答えが返ってくる。では、「日出子(ヒデコ)」だと言い、一方的にアンスマーリンのことを日出子と呼ぶようになる。普通、日本人が「太陽」と聞いて思いつく名前は「陽子(ヨウコ)」であろう。どうして「日出子」なのだろうか?
 また、通常タイ語で「太陽」を意味する言葉は、「タワン(ตะวัน)」や「プラ・アーティット(พระอาทิตย์)」だろう。「アンスマーリン」ということばをかなり厚いタイ語辞典で調べても載っていないので、特殊な言葉なのかもしれない。

【 「メナムの残照」の英語表記 】
 この作品のタイトルの日本語表記は「メナムの残照」だが、タイ語発音をそのまま仮名にした「クーカム」(タイ語の無気音を濁音表記する人は「クーガム」)とする場合も多い。英題は「Sunset at Chaophraya(サンセット・アット・チャオプラヤー)」だが、やはりタイ語発音の「クーカム」をそのままアルファベット化したものを使う場合も多い。
 ただ、このアルファベット化した綴りは一種類ではなく数種類ある。それは、タイ語の音をアルファベット化する時に、どの音はどの綴りにするかが決められていないためにそのようなことが起こってしまうのだ。「Khu Kam」「Koo Kam」「Koo Kum」「Koo Gam」「Koo Gum」「Khuu Kham」などの表記があるのだが、どれが正解ということはない。だが、「คู่กรรม(クーカム)」の「ค」は有気音で一般的には「kh」と表記される。「ก」は無気音で「k」と表記される。その法則からいけば「Khu Kam」がベストだと思うのだが。
 ちなみに、1990年に日本で行われた国際交流基金アセアン文化センターによる「タイ映画祭」で上映された(日本初上映は、1989年の第3回東京国際映画祭?)チンタラー・スッカパット主演による映画は、邦題「メナムの残照」、英題「Fate(Khuu Kham)」としている。

【 ラスト・シーン、軍医の態度いろいろ 】
 (ネタバレあり)映画やTVドラマの「メナムの残照」に、日本人から見てこんなこと日本人ならしないと思える部分は多々ある。作品が最も盛り上がるラスト近く、バンコーク・ノーイ駅でのシーンもその一つだ。軍医の態度が、あまりにも無情と思える作品が多い。そのシーンを下記に紹介してみる。
◆2004年TVドラマ
 日出子に導かれ倒れている小堀の元へやって来た軍医は、治療をしようとして彼の体を起こそうとする。だが、あまりの出血のすごさに助からないと悟り、絶句し呆然として座り続ける。そして、小堀に「もう行け(自分は助からないので)」と言われ、涙ながらに立ち去る。

◆1996年映画「クーカム 2」
 この作品にも、バンコーク・ノーイ駅のシーンが出てくる。日出子に声をかけられた軍医が小堀の背中の傷の具合を見るが、助かる見込みのない傷の深さに絶句してしまう。日出子が「薬を」と懇願するが、「残念ながら助かる見込みがない」と説明。そして、しゃがんだままで脱帽し頭を下げ、起立し敬礼をして去ろうとするが日出子に腕を掴まれる。しかし、それをふりきりもう一礼して去って行く。これは、すごくまともな軍医の行動だ。

◆1995年映画
 日出子に連れて来られた軍医は、小堀の体を起こし傷の具合を見る。しかし、小堀に「おれはもうダメだ」と言われると、何もせずに敬礼をして去って行く。

◆1990年TVドラマ
 このシリーズでの軍医は、実にまともな行動をとっている。軍医は小堀を助けようとするが、傷があまりにもひどく助からないとみて表情を硬くする。小堀に「もういいから」と言われ、日出子に懇願されるも無念の表情を浮かべ立ち去って行く。

◆1988年映画
 軍医は、日出子と倒れている小堀のいる場所に通りかかる。しかし、小堀をちょっと見て「けががひどすぎて無理だ」と言い、「サヨナラ」ということばを残し一礼して去って行く。

◆1973年映画
 日出子に小堀の元へ導かれた軍医は、倒れている小堀に何と聴診器をあてる。しかし、小堀に「もうだめだ」といわれ、日出子に懇願されるにもかかわらず軍医は一礼してまだ息のある小堀の元を去っていった。

【 「クーカム 2」 】
 (ネタバレあり)「クーカム」がヒットしたからであろう、トムヤンティの手により、続編が書かれ映像化された。物語は、アンスマーリンと小堀の子供の時代の話である。時は1970年代のバンコクなので、小堀が死んでから30年近く経っていることになる。アンスマーリンは小堀の忘れ形見である男の子ヨウイチを生み、彼は成長してタマサート大学の講師となっていた。
 おりしも、タイでは大学生らによる反日運動真っ盛りの頃で、1973年10月14日の「血の日曜日」(10.14事件)が起きようとしていた。ヨウイチは、自身の体に半分流れる日本人の血に苦しみながら生きていた。彼は、反日運動の先頭に立つ女子学生サラワニーが好きになる。サラワニーもまたヨウイチに思いを寄せるようになるが、彼の父親が日本人であることやヨウイチとの親族関係に苦しむ(ヨウイチの母であるアンスマーリンの父が再婚し、その再婚相手との間に生まれたのがサラワニー)。
 そして、運命の10月14日がおとずれる。軍が、武力による学生運動の制圧に乗り出してしまったのだ。ヨウイチは、愛するサラワニーを混乱の中から助け出そうとする・・・というストーリーだ。原作では、この後、ヨウイチは母であるアンスマーリンが天国へ旅立つのを看取ることになる(2004年のTVドラマも同様)とのこと。しかし、映画では「血の日曜日」のさなかサラワニーを助けようとしたヨウイチが撃たれてしまい、最後をアンスマーリンらに看取られ天国へ旅立って行くというストーリーになっている。
 また、原作では、アンスマーリンの父はアンスマーリンの母と離婚した後再婚して子供をもうけるが、自身の失脚とともに妻からは見放されてしまう。行き場の亡くなった父は、再びアンスマーリンの母の元に戻ったという(TVドラマ「クーカム 2」<2004年>では、父の死後のことが描かれているが、映画「サンセット・アット・チャオプラヤー 2」<1996年>ではほとんど触れられていない)。

 物語は、タイ王国が歩んできた歴史上の事実と重なり合っている。当時、タイでは政府への批判と対日の貿易赤字問題が結び付き、タマサート大学を中心とした学生運動が行われていた。そして、1973年10月14日、ついに学生と警察、軍隊が衝突し多くの犠牲者(死者77人)を出してしまう。この日は「血の日曜日」(10.14事件)といわれている(1976年に起きた事件も「血の日曜日事件」といわれている)。
 当時、学生たちは「排日」「日本商品のボイコット(不買)」を訴えていたが、実はタノーム政権の打倒を考えていたという。いきなり政権打倒を掲げるとすぐにつぶされてしまうので、巨額の赤字となっている「対日貿易是正問題」を取り上げて運動を盛り上げ、その後、政権批判に転じる計画であったらしい。


Trailer 映画2013年版



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